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失うのが怖いと、
そんな怯えから強気に出られなくなるよな恋なんて、
自分には縁のないものだと思ってた
今日は残業だからと言ってあった。
さほど遅くはないが、胸のうちへと微妙な迷いがわだかまり、
街路をゆっくりと歩みながら、手の中でスマホを弄ぶこと幾刻か。
意を決し、そちらへ帰ってもいいかとメールすると
ややあって“お待ちしております”という返信が返って来たので、
柄にもなく項垂れつつも覚悟を決めて歩み出す。
液晶の向こうに何も知らないで待つ青年を思い浮かべ、
ここ最近、時々胸の隅っこで存在を主張していた小さな痼りのようなものが、
今くっきりと形を取ったのを自覚する太宰だ。
スマホの裏には、先程さりげなく敦くんのベルトの先の方から剥がしとった
小さなボタンのようなもの。
探偵社の職務上の消耗品の1つ、
受信機とセットで用いる、俗にいう“盗聴器”という代物で。
日頃 最も使っているかもしれぬ身、
受信機の方はともかく、発信側のは回収しない場合もあるため、
在庫を確かめるのも自然と自分の分担となっているのだが、
“まさか敦くんにくっついちゃったとはねぇ。”
すぐにも使えるように、いつも1つだけ極小電池を装填してあるそれ、
そろそろ交換しようと新しい電池片手に周波数を調整しておれば、
手元からうっかり逃げ出しての足元へ転げてしまい。
あらまあと追いかかったところ、
自分のお仕事は片付いたのだろう、
定時になったので帰るらしい虎の少年が屈託ない声を掛けて来たので、
ついつい拾い上げるのを後回しにした。
愛想のいい彼に、おや寄り道かい?なんてカマをかけ、
途端に真っ赤になって逃げるように階下へ向かうのを微笑って見送ってから、
改めて足元を見ると…そこにあったはずのボタン型のブツがない。
勢いよく駆け出した少年が知らず蹴飛ばしたかなと、
おやまあと思いはしたが、
受信機と対になっているブツなだけに探しようはあって。
通し番号別の受信バンドへ受信機の周波数を合わせ、
メーターの針が大きく振れれば…という探りを入れる。
なんとなればハウリングが起きることで居場所が判るやりようで、
居廻りのあちこちでかざしたがうんともすんとも反応がなく。
大ぶりな携帯電話かトランシーバのような受信機から聞こえる物音を
頼りにするしかないかとボリュームを上げたところ、
【よぉ、お帰り。】
【ただいま、中也さん。】
『……。』
聞こえたやり取りに嫌な汗が出たのは言うまでもない。
一般的なこういうツールは、極小であればあるほど電波も弱く、
100m以内くらい間近にいなくては着信はほぼ不可能なのだが、
さすがは武装探偵社謹製の品だけに、
携帯電話の中継局をちゃっかり借用するモードが搭載されており、
それなりにバッテリーを食いはするが、キロ単位で遠いところの音声も届けてくれる恐ろしさ。
どうやら虎の少年のいつものいでたちの中、
その異能をつかさどってでもいるかのように
細腰過ぎて長さが余り倒し、尻尾のようにたなびかせているベルトの先へでも、
くっついたままお持ち帰りされてしまったようで。
しかも、行きついた先が元相棒の自宅であるらしく、
ほんの最近、こういったツールの濫用へ釘を刺されたばかりであり、
だというに選りにも選って彼の大切な愛し子にまで…と来たらば。
“叱られるのは何てことないけど、ねぇ。”
釘を刺された折、
罰としてこちらの想い人であるあの青年を出社ごとにひん剥いて調べ上げるぞと脅された。
中也にとっても身内のような子なのでそこまでホントにやるとは思えぬが、
どっちにしたって借りを作るのは面白くない。
とっとと回収すればいいだけの話だと、
彼らの逢瀬の場へ潜入し、手際よく撤退すりゃあよかろうと、
いささか高をくくった感の強い考えの下、大胆不敵な潜入を敢行。
忍び込み自体は成功したものの、
“…。”
うっかり見惚れてしまおうとは自分でも思わなかった。
どんなに風貌のいい者同士のそれであれ
知人の、それも男同士の濡れ場なぞ、
直視は勘弁となろう代物だと思っていたはずが、
含羞みつつもそれは素直に瞼を降ろした敦くんだったことへ つい意識を奪われてしまい
太宰自身にも思いもよらない展開になったというのが
本当のところだったのであり。
“案外と正直に話していたら、
ああこれですねなんてあっさり返してもらえたかもしれないね。”
策士、策に溺れるとはこのことか。
そんな風に感じたくらい、彼の少年はそれは素直で純真で。
“……。”
全部が全部 嘘八百だと後日に破綻しかねぬから、
こういう時は罪のない真実を持ち出すに限る。
なのでと、間合いが間合いだったこともあり、
それへまつわる話、本当だけれど答えの出なかろう話を振ったら、
そんな悪さをする奴にはこうだという天罰でも降って来たか、
健気にも一生懸命考えてくれた敦くんが何とも切ない答えを寄越してくれて。
目を閉じた隙に大事な人がどこかへ行ってしまうかも知れない。
こうまで間近にいるというのに、そんなことになったらと怖くて怖くて、
それで目を瞑ることが出来ない彼なのかもしれぬ
敦が例に挙げたのは幼い子供の話ではあったが、
そして彼は自分たちの上に起きた経緯を詳細までは知らないはずであるが。
あまりに即妙であまりに痛烈な“例えば”へ、
言葉が出なかったのは思い当たりがありすぎたからに他ならず。
“………。”
中也に言わせれば、自業自得の因果応報、
傷つけたという自覚があるのなら、
『奴から少しずつ許してもらって、取り戻せばいいんじゃね?』
直接接してそれで生じるものへ誠実に対処して、
1つずつ丁寧に均していくしかないのだと、それは判りやすく言ってもらったのは、
ポートマフィアの本拠近く、まだ五分咲きの桜の並木道だったっけ。
“………。”
もうすっかり許されていると思ってはいないか?
相変わらず身勝手で傲慢なところがあるのではないか?と。
彼らだとて言うほど安寧な幸せの中にいるわけではないというに、
お互いへは素直でいようと接していた
悪友と後輩さんのそれはやさしい睦みようという、
思わぬ形で思い知らされたような気がして。
この時期でもさすがにすっかりと暮れてしまった空を見上げ、
街にちらばる人工灯に紛れかけてた月を見やると、
ふうと深々と溜息をつき、自分にとっての家路を歩む太宰である。
◇◇
普段は太宰が彼の帰り道へ顔を出し、
そのまま自宅へいざなっているのだが、
今日のようにそれが出来ない段取りの晩は、
芥川くんの家へ“帰る”というのが定着しており。
合鍵は渡されているものの、居ると判っているのだからと、
チャイムを鳴らして帰宅を知らせ、エントランスのロックを解いてもらい、
エレベータで上がった先、自宅のドアをノックすれば、
微かな間があってから無機質な鋼鉄製のドアがガチャリと開く。
三和土へ身を乗り出してノブを手に開けてくれた青年へ、
ふふと小さく笑えば、
こざっぱりとしたシャツ姿の彼の側もお帰りなさいと微笑ってくれて。
夕飯はどうされました?
実は食べてないんだ、何かあるかい?
部屋着へ着替えるのを手伝い、
あり合わせですがと言いつつ、
身の肥えたアジを焼いたのと煮物とみそ汁を並べてくれて。
帰ってから炊いたのだろう白米を添え、どうぞと供してくれるところは、
本当に行き届いており。
塩加減も甘さも太宰の好みに合わせたそれらを食しつつ、
今日あった他愛ない話を振れば、
時に目を見張り、時にちょっとついてゆけぬと小首を傾げと、
それは可愛らしく相槌を打ってくれて。
頃合いを見、食後のお茶を淹れようと立ち上がったのを見送って、
ご馳走様と手を合わせると、先にリビングの方へ身を移す。
まるでいつもと変わらない宵であり、
すんでまでのごちゃごちゃ全て、
あっさりと無かったことにされてしまいそうな趣きさえあったが、
「…、?」
普段使いの湯呑を運んで来、
ローテーブルの傍に踵を揃えて膝をつき、
ことりと置いたその手をさりげなく捕まえられて。
茶器を倒すようなことには至らなんだものの、
そのままやや強引に引き寄せられるとさすがに慌てる。
シンプルなシャツと麻綿のパンツ、深色のカーディガンという
何とも地味な室内着でいる太宰だが、
それでも芥川には畏れ多いほどの存在で。
前触れもなくの力づくであれ、引き寄せられれば逆らうなんてとんでもなく。
腕と肩を引かれ、ソファーの上まで引き上げられ、
そこから腰へ手がずれて彼の膝へ。
気づけば懐ろの中から見上げる格好になるほどの至近へ引き込まれており。
目許や頬へかかる黒髪の陰、
悪戯っぽく微笑う太宰の鳶色の双眸が柔らかくたわんで、
髪や頬をそおと撫でてくれるのがくすぐったい。
ただ端正というだけでなく、少し寂しげな柔らかさをまとった面差しは、
そんな愁いが見た人の心まで掴んで離さぬ蠱惑に満ちており。
「……。」
そうは言っても、初めて目にする訳じゃなし。
なのにどうしてだろうか、この青年はやはり、
互いの目許が拳一つ分もないほど間近になっているというに、
射干玉のような漆黒の瞳をじいとこちらへ向けたまま、
その瞼を一向に伏せようとはしない。
言い方が悪いかもしれぬが、
まるで何かが憑いたように まじろぎもせず目を見張っており。
「芥川くん?」
もしかして意識を手放してやしないかと声を掛け、
「どうしてなかなか目を閉じないのかな?」
いつもと同じくそうと訊けば、
アッと息を引く気配がして、すみませんと視線が下がる。
そんな彼の頬に手のひらを伏せ、
叱っているわけではないし責めてもないよと囁きながら
短い前髪の下、白い額へちょんと触れるだけのキスを贈り。
微妙に躊躇したものの、
訊かずにはおれないことが胸のうちで外へ出してと喉奥をつつく。
ついさっき、虎の少年から聞いた話。幼い子が怯えて目を瞑れなくなった話。
「もしかして、私が…」
消えるのではないかと つい思うからか?と訊きかけたのだが、
「太宰さんの眸をこんな間近で見られるなんて嬉しいからです。」
「え?」
昔は、こうまで至近へ引き寄せられると言ったら
胸倉掴んで顔を叩かれるときくらいのもので、
ただただ冷たくて何の表情もない顔がそりゃあ怖かったけれど。
「今はそんなことは一切なくなって、
それどころか、やさしく見つめてくれるのが嬉しくて。」
いつまでも見ていたいなって思うのでつい。
慎ましくもうっとりと微笑ってそうと言って、
「…ぁ。」
そこでハッとし、目を見張ると見る見ると真っ赤になる。
選りにも選って太宰本人へ、
何だか恥ずかしい告白をしたことになるのだと、今更気がついたようであり。
「…芥川くん?」
「〜〜〜〜〜。」
あまりの恥ずかしさにか、何も言えないようで。
俯いてしまうと薄い口許をぎゅうと咬むのがちょっと頂けぬと、
細い顎先へ手を添え、親指の腹で口元を撫ぜる。
「普段無口な分、時々物凄く濃厚な嬉しいことを言ってくれるね。」
「〜〜〜〜〜〜〜。」
特に揶揄するような言いようはしてないが、
それでも恥ずかしさを更につついたようなのか、
いやいやとかぶりを振りまでするのがまた愛らしく。
ああこれはちょっと間を置かなきゃ無理かなと、
くすぐったそうに笑った太宰、
ねえ、そのまま聞いて?
懐ろの中、俯いてしまった愛し子へ、
そっと静かに語りかける。
「いつもじっとじっと見つめてくれるのは嬉しいけれど、
目を閉じてくれるとちょっとだけ、
ああ私のこと怖くないんだねって、そんな気持ちになれるんだ。」
こうやって共に居られるようになってからこっち、
それは慎ましくて控えめなキミで。
怨嗟たっぷりに睨まれてたのも痛々しくて辛かったけど、
「もしかして今は今で、
私がポートマフィアに居たころの倣いのままなんじゃあないのかなと。」
「それは…。」
常に後ろに控えてて、私の挙動に注意を払って。
師弟というより主従みたいな、
手を上げられることだってあると畏れているような
そんな間柄だったのを、
「ちょっと思い出しちゃうっていうか。」
「〜〜〜〜〜〜。」
それは…と。
あながち否定できない部分もあるものか、
見上げて来たお顔の中、困ったように眉を下げるのが、
馬鹿正直でまだまだ青くて何とも言えず可愛いなぁと、
若き師匠がくつくつと楽しそうに微笑う。
「キミは礼儀正しい子で、そうであれと躾けたのは他でもない私だ。
だから、それを私が残念がるのは順番がおかしいのだけれど。」
ねえ、キミのこと、こうまで引き寄せた時は、
先にこちらの我儘を聞いてもらってもいいかな?
親指の腹で青年の唇をそおと撫で続けていた太宰が、
そうと言って ふわりと柔らかく微笑う。
ちょっぴり眉を下げた優しい表情だったのへ、
ああと、呑まれたように見惚れてしまい。
そんな彼がゆっくりと瞼を降ろすのへ、
こちらも釣り込まれるように、少しずつその双眸を閉じてゆく芥川で。
すっかりと伏せてしまうと、何も見えない分 他の感覚がやや冴える。
頬が不意に熱を帯び、ああこれはと、
太宰の頬が触れるほど近くなったのだと気づいた次の刹那にはもう、
ちょっぴり乾いた唇がふわりと重なるの、
そもそも怖いはずもないことと、眸を閉じて受け止めている。
「ん…。///////」
重なるという印象の通り、軽く触れてのそれから、
ややもどかしそうにこちらの唇を食もうとする動きが伝わって来て。
そんな手際が、ただの巧みさではなく自分への“求め”だと思えたのは、
これまでは怖いだろうと気遣われ、
一度だってされたことのない行為だったから。
そうまで“欲しい”と思われている実感が、
こちらの心持ちを否応なしに震わせて、
総身の血脈を騒がせるほどの 罪な熱を呼ぶのであり。
「んぅ…。///////」
肩へと置いていた手が甘い陶酔からすべり落ちかかり。
だが、きゅうと抱きしめられたことで
新たなざわめきを感じ、何かへすがりたくなって。
触れていた背中、木綿ニットのカーディガンに掴まり、手の中へぎゅうと握り込む。
互いのシャツ越しだというのに、
しっかりと充実した肉置きの胸板の感触や、
ぐるりと背中まで回された腕の精悍さが頼もしく。
くるみ込まれているのが安心なような、
それでいてここまでの強引さを思えば、
このまま閉じ込めてしまうよという雄の香も感じなくはなくて恐ろしく。
切ないドキドキが極まって、
くらくらと躍るよな、ふわふわと浮かぶよな、
そんな心持ちに翻弄されてしまう。
こちらの息が続かぬことを案じたのだろう、
重なっていた唇がほんの僅かほど薄く剥がれた。
はあと洩れた吐息へ向かい合う唇がくすりと小さく笑い、
「…っ。」
あっという間という手際の良さ、
頬をかすめ、おとがいへすべり込むと、
鎖骨の合わさるところに温かいものが触れ、
何だろうと思うと同時ほど、ちりりと小さな痛みが走る。
不意なことへとビックリし、
思わず太宰の肩へ指を食い込ませるような掴まり方をすれば、
「ごめんごめん。」
あまり実のこもってないような謝り方をした彼が、
顔を上げるとくすすと笑い、こつんと額同士をくっつけて。
「つい箍が外れそうになってしまったよ。」
そうと言う彼もまた、目許がほんのりと熱っぽく染まっており、
鳶色の双眸も心なしか潤みを増していて。
「…っ。」
こんなお顔は初めて見たと、
いかにも驚いての眼を見張った青年だったのへ、
そうそう、今度は君が思う存分観る方だねと。
そのくせ、すべらかな頬を撫でたり、やわらかな猫っ毛を梳いたり、
教え子の可愛いところ、好きなように堪能している師匠だったりしたのである。
〜Fine〜 17.05.22.〜05.27.
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*太芥のレベルが上がった♪(たらららったた〜んvv)
……じゃあなくて。
要はそういうことだったのよという種明かしをさせていただきました。
どっちにしたって いい大人が下らぬことへ右往左往していたわけで。
純情な青少年たちの方がしっかりしていたわけで。
少しはこういう方向へも話が進むといいんですが。
少し前の章でも書きましたが、
ケルナグール活劇はちゃっちゃと書けるのに、
甘いお話はなかなか進まぬ、
どんだけガサツかが改めて実感できましたよ、とほほん。

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